夢は駆け巡る

YS1986の私見による車を中心とした、日々の日常を綴ります。

自己紹介の続き。ターンニングポイント編-2

貴方は分岐点に立った時、どの様な基準で道を選びますか?

 

長々と過去の事を書いていてスミマセン。YSです。よろしくお願いします。

 

大学4年の時に、就職以外の、大学院と言う進路が生まれたのですが、最初は迷いました。そこまで大学院に魅力を感じていなかったし、三菱とも繋がりが持てていた訳だし。周囲の声は、圧倒的に大学院でした。正直、両親すらも推薦を貰えるなんて思ってもいなかったのだけど、推薦が貰えたなら修士課程(大学院)に進むべきだと。そこで、私が選んだ道は大学院でした。大学院に行っても、三菱との縁を保っていけば良い訳だしと思っていたし、もう少し、学生を楽しむのも良いかな?と。この動機の不純さが悪い結果を生む訳で。

 

では、大学院に進んだか?と言うと、ここでも、まさかの話になる。大学4年の時に属していた研究室の教授と喧嘩しました。後にその教授曰く。もし、就職の道を選んでいたら、企業への配慮もあり、卒論を再提出でもさせて卒業させたと思うけど、大学院に残るのなら卒業させる必要もないと判断した。大学4年にして留年という事になる。その時は、大学なんてやめてしまえ、中退で結構!と思っていたけど、両親や、別の研究室の教授がそれを止めてくれて、大学5年で卒業したことになっている。

 

大学5年になると、上記の様な事もあり、さっさと大学を出たいとの理由で就職組となる。いよいよ三菱か?と言うと、ここでイベント発生。以前にも書いたが、ル・マン24時間レースでマツダが日本車初の優勝をする。今でもそうだけど、ル・マンで勝つことは本当にロマン。一時の迷い?三菱への想いよりマツダへの想いが強くなった瞬間。色々考えたが、最終的に希望進路をマツダと書いてしまった。三菱も、あれ?来ないのかよ!と思っていたのでは?

 

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ル・マンを勝ったマツダ 787-B

そのマツダですが試験で落ちました。一応、試験前に過去の入社試験の様子等を教えてもらっていたのだけど、世はバブルがはじけた直後。それまでとは異なり、普通に入社試験がありました。それまでは、卒論の内容を口頭で説明するだけみたいだったから、思いっきり油断していたのは事実。先のブログで書いた、大学枠5名に入っていながら落ちた訳で。

 

就職は?実は、大学枠とは別に、自由応募の会社でただ1つ試験を受けていた所がありました。桜井眞一郎(2011年に故人となりました)さんが立ち上げたオーテックジャパンがその会社でした。マツダの試験前に内定を頂いていて、大学枠でマツダが決まった際には、オーテックの人事の方にその旨も報告していたのですが、マツダを落ちたと言うと、快くわが身を受け入れて下さったりもしました。社会人としてのスタートは、オーテックで切ることになるのです。ちなみに、私が大学を卒業してから5年後かな?三菱のリコール隠蔽が発覚したのは。もし、三菱に入っていたら…私も隠蔽に協力していた可能性あり。この分岐点を、良かったのか?悪かったのか?と書いたのはそれが理由。でも、オーテックにお世話になったのだから、きっと良かったのだと今は思える訳で。

 

オーテックに入ったことで、趣味の車にも影響が出てきます。それも含めて、次回を書いてみます。読んで頂きありがとうございました。