夢は駆け巡る

YS1986の私見による車を中心とした、日々の日常を綴ります。

自己紹介の続き。ターンニングポイント編-3

貴方は思ってもみなかった人と出会った場合、どの様な対応をしますか?

 

車の事も交えながら、ちょっと、オーテックジャパンについて書きます。YSです。よろしくお願いします。

 

先のブログに書いた通り、オーテックジャパンが私の最初の会社になりました。勿論、オーテックジャパンの事は、桜井さんが立ち上げた時から知っていたけど、どんな試験があるか?と言ったような、試験対策は全くしていなかったのですよ。だって、大学枠があるからというのは理由になっていないかな?だから、面接試験で伊藤修令さんと話す時には、緊張を通り越して、思いっきり素になっていた。本当か?嘘か?は解らないが、当時の面接試験では桜井さんが出ることになっていたが、あの時は、他の予定があって伊藤さんになったとか。

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オーテックジャパン(当時とロゴが違います)

恐らく、今の方々に、桜井眞一郎さんとか、伊藤修令さんとか言ってもピンとこないと思うのだけど、スカイラインの主査だった方と言えば少しは解ってもらえるかな?そもそも、スカイラインと言う車を知らないかも。その昔、ポルシェを相手にした事のある数少ない日本車と言うと、少しは関心を持ってもらえるかな?GT-Rの礎を築いた方と言った方が良いかな?

 

面接の時、伊藤さんから何を聞かれたか?はハッキリ覚えていないけど、風と一体となる様な車を造りたいという様な事を言ったのは覚えている。正直、これは受け売りの言葉だったから。でも、そんな車を造ってみたいという気持ちも本当にあった。そして、内定を頂いた時に、桜井さんともお会いする機会があった。内定をもらった同期が一斉に集う機会があったのだが、そこで、桜井さんと初めてお会いした。人事の方から、桜井さんに質問はない?と言われたが、いきなり質問と言われても…ねぇ。しかし、そこで、幸いにも人事の方から指名されたのが私。今思うと、本当に幸い。出てきた質問が「桜井さんにとってスカイラインとはどんな車でしたか?」だったのは残念。でも、桜井さんは丁寧に語ってくださった。そこで出てきた言葉は、色々な本にも書かれている「鞍上人なく鞍下馬なし。人馬一体となった車を造りたかった」という言葉。…別に、桜井さんの受け売りだったわけではないけど、ちょっと、頭を抱えそうになったのは覚えている。

 

試験や内定を頂いた時にオーテックまで行っているのだが、その時はVR-4で行った。その時に伊藤さんに見られた記憶あり。その後、人事の方から「この車で通勤してはダメだよ」と言われた。違法改造しているからではなく、オーテックが日産の子会社だったから。その言葉を受け、ギャランからは降りてしまった。通勤用に買ったのがY31グロリア。グランツーリスモSVというグレードだったけどAT。

 

更には、オーテックは半年で辞めてしまっている。理由は根性が足りなかったから。伊藤さんをはじめ、多くの方を裏切ったなぁと今は反省している。幸いなのは、同期の仲間が、今でも仲間でいてくれる事。これには、ものすごく感謝している。

 

Y31グロリアになってどうなったか?次回はその辺りを書きます。読んで頂きありがとうございました。