夢は駆け巡る

YS1986の私見による車を中心とした、日々の日常を綴ります。

自己紹介の続き。E38AギャランVR-4編

貴方は昔付き合っていた彼女とあったらどう対応しますか?

 

過去に付き合っていた方は1人しかいないので、私は心配無用です。YSです。よろしくお願いします。

 

BG5レガシィに乗って1年半位経った時かな?やっぱりMTに乗りたくなった。もう、これは病気ですね。でも、レガシィのローンもあったので、貯めたお金は60万円しかない。世間ではランエボがⅢまで進化していたけど手が出る訳がない。そこで、友人に話してみたら、こんな車で良かったら…と紹介されたのが、E38ギャランVR-4 RS。また、ギャランです。ダートラ(ダートトライアル)競技車で、ロールバーも組まれており、2名乗車に構造変更されていた。車検証には、公認改造を示す、(改)の文字が入っていました。家族用にはレガシィがあるし、これで良いか?と思って購入。

 

E38という形式は以前書いた通り、4WSがないVR-4。そして、RSというのは、競技使用を前提にした車。パワーウィンドウもなければ、エアコンも注文装備。私が買ったE38はエアコンなし。我が家に来た時はダート用のタイヤだったし、シートも前オーナーの体に合ったバケットシートだったし。お金なかったけど、そこは変えました。中古で、エボⅡ用のOZレーシングのホイールとタイヤ、ジェミニ用かな?レカロシートを購入。

 

まぁ、大概お金がない時に限って、出費は重なるもの。信号待ちで止まっていると、エンストする事が多々あったので、ディーラーで見てもらったら、ECUとスロットルボディがダメになっているとの事。勿論、これも交換。車体価格60万円だったけど、その後が結構掛かった。でも、当時は若かったからかなぁ?それすらも、働き甲斐にしていました。

 

結局、車検が切れるまでの1年位乗ったのかなぁ?タイヤが都内でパンクしたり、運転席のシートベルトアンカーがいきなり壊れたりと、アクシデントが多かった車だったけど、そこそこ、楽しめました。サーキットに行くこともなく終わったけど、結果的には良かったみたい。と言うのも、次の車の購入のため、下取りに出したら、左リヤのブレーキも固着していたなんて聞いたから。

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YS家 E38ギャランVR-4 RS

上記の事から言える結論。お店で売っている中古車の方が、安心です。

 

次は、いよいよあの車に乗りますが、すんなりと入らず、その車の進化の具合を書いていきます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。BG5レガシィ編

貴方は愛読の雑誌とかありますか?

 

我スルーされる。ゆえに我あり。YSです。よろしくお願いします。

 

BG5レガシィはフルタイム4WDでしたが、ATはトルクスプリット4WDと言われる4WDでした。フロントとリヤへの駆動力を、状況に応じてセンターデフが制御する4WD。R32GT-RのアテーサE-TSのベースとなったなんて聞いた事もあるけど噂かな?ウィキペディアでは前輪:後輪を6:4で駆動すると記載があるけど、カタログで確認すると35:65で駆動するとある。多分、カタログが正しい。運転した感覚では、フロントが引っ張ると言うより、リヤの押し出しが強かったから。

 

エンジンはEJ20というGC8インプレッサと同じ形式のエンジン。GC8との差は、ターボがツインターボになっている事。今はツインターボすらなくなっていると思うけど、更に珍しいのは、ターボを直列につなぐシーケンシャルツインターボになっている事。通常のツインターボだとターボを並列に配置します。低回転時から2つのターボが同時に回転するのね。それに対して、シーケンシャルツインターボだと、低回転時はプライマリーと呼ばれる1個のターボが回るのみ。高回転になって、初めてセカンダリーと言う2つめのターボも回る。ちなみに、FD-3SというマツダRX-7もこのタイプ。ATなので、高回転まで回す事があまりなのだけど、たまに回すと相当大きなクセが出る。3500~4000回転くらいだったかなぁ?一瞬…というか、1秒位?加速が止まるのです。上記のセカンダリータービンへの切り替えのタイミングだと思うけど、普通の感覚で十分わかるほど加速が止まります。ただ、その瞬間が終わると、また一気に加速する。高速で追い越し車線に入って、いざ加速という時に起きたりする。ちょっと厄介でした。カタログでの表示では250馬力。ワゴンであることを考えても、十分なパワーはありました。

 

サーキットは走らなかったけど、プレイドライブ(PD)という雑誌とJTマイルドセブンが共催していたクイズィーマップ(クイズィーラリー)には参加しました。コマ図と呼ばれる地図をもとに、主催者が決めたチェックポイントを回っていく。そのチェックポイントにはクイズがあってそれを回答する。車でやるオリエンテーリングみたいなモノ。オリエンテーリングと違うのは、走行距離を最後に算出する必要がある事。コース序盤に基準点が設けられており、その基準点がスタートから何km地点と明記されている。ところが、その距離と言うのはタイヤの摩耗や走り方で変わってくるモノで、自車で走った距離との差から補正係数を求めておく。コマ図通り走ればミスコースなくゴールでき、距離の狂いもないのだけれど、ミスコースしたらミスした地点まで戻って再計測。最終的にチェックポイント間の距離を補正して距離数も提出します。距離は100m単位だったと思う。クイズの回答と距離の誤差から順位を決定する。そんな、誰でも参加できるラリーでした。この車で、東北、関東、中部のラリーに参加しましたね。自慢は、毎年上位に入っていた事。その当時勤務していた上司も参加して、上司は度々PD誌に写真が掲載されていたなぁ。

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YS家 BG5レガシィ

ワゴンと言う車は見ての通り荷室が広いのだけど、それが大きなゆとりに繋がるのを知りました。何か贅沢な雰囲気を味わえると言うのかな?ツーリングワゴンに乗ったのはこの車だけだったけど、旅を楽しむには良い車だという事を知りましたね。次回はその後の車について書きます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。レガシィ編

貴方は流行に乗った事ありますか?

 

人生を振り返りつつ、車の話をしているのだから長くなります。YSです。よろしくお願いします。

 

GC8インプレッサを買った時、Y31グロリアはどうしたか?実は、両親用と言う事で残しました。つまり、2台持ちだった訳です。その後、グロリアは大きすぎるから、もうちょっと小さい車に乗りたい…と言う事で、Y31グロリアはP10プリメーラに変わります。世の評判が良かったプリメーラだったのですが、我が家の評価は実はイマイチ。その内、2台持ちは経済的に苦しいから1台にまとめようという事になります。この時はMTに何故か?固執しませんでした。そして、選んだのがBG5レガシィでした。

 

話しはまたバブル期に戻ります。バブル期に出来た自動車文化、幾つかあります。マークⅡやソアラに代表されるハイソカー。このブログでも取り上げたハイパワー4WD。そして、初代レガシィが築いたと言っても過言ではないツーリングワゴン。今でこそ、ワゴンと言うカテゴリーは確立されているけど、当時は商用車のバンと同じ様な扱い。差は何?と言われると、ちょっと困る。うーん?ドアに○○商店と書かれていなかったとか?今は姿を消しちゃっているけど、ルーフレールというモノが天井についているか?否か?とか。後は、メーカーの意識の差かな?ワゴンを作ると、同時に、バンパーを塗装しないと言った廉価版ワゴンをバンとして販売する会社が多かった。レガシィにはそれがなかった。レガシィを追う様に出てきたのが、カルディナ(トヨタ)、ステージア(日産)、レグナム(三菱)だったりするけど、今も残っているのは無いね。

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初代レガシィツーリングワゴン(BF5)

私が乗ったBG5レガシィは2代目レガシィのツーリングワゴン。初代から更に洗練されたスタイルで登場してきた。特筆すべき点は、この時代、多くの車が3ナンバー枠という幅広なスタイルにモデルチェンジして出てきているのに対して、レガシィは3代目まで5ナンバー枠という、日本独自の規格で作られている。車を造る側からしてみると、3ナンバーで作った方が、幅が広い分、自由度も効く。足回りもマルチリンクに出来るし、勿論、室内幅も余裕を持たす事ができる。それを5ナンバーという、限られた大きさの中で、3ナンバーの車と遜色なく造っていたスバルの開発陣は素晴らしかったのだったと思う。

 

両親曰く、ワゴンは霊柩車を想像するから嫌だ…と、今でも言っているけど、当時はまんざらでもなかったみたい。両親にとって初めてスバルだったけど、普通に乗っていたし、私が仕事に行っている間に、両親だけでドライブにも行っていたみたいだし。

 

次回は、BG5レガシィについて、ちょっと細かく書いてみます。読んで頂きありがとうございます。

自己紹介の続き。Y31グロリア グランツーリスモSV編

貴方は何気なく使っている言葉の意味を知っていますか?

 

人の心に響かないブログを書くのが得意です。YSです。よろしくお願いします。

 

インプレッサの次を書く前に、度々登場しているY31グロリアという車についてちょっと書きます。そもそも、グロリアはプリンス自動車が作っていた車だったのだけど、プリンス自動車を知っている方がまずいない。もうちょっと掘り起こすと、スカイラインプリンス自動車の作品で、桜井眞一郎さんはプリンス時代からの方。

 

プリンスが日産に合併吸収されたことで、グロリアはセドリックと兄弟車になり、同時に、クラウンとライバル関係になります。話は一気にバブル時代になるけど、このクラスの車で初めてGTのグレードができたのがY31という形式のセドリック/グロリア。正式なグレード名はグランツーリスモというのだけど。今でこそゲーム等で聞く言葉だと思いますが、私はこの車が登場して、初めてGTの意味を知りました。クラウンが直列エンジンを積むのに対して、セドリック/グロリアはV型エンジンを積んでいた時代。Y31の2リッターエンジンには、ノンターボとノンターボがあったのだけど、ノンターボはグランツーリスモ、ターボはグランツーリスモSVというグレード分けがされていました。私が乗ったのはグランツーリスモSV。

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Y31セドリック グランツーリスモSV

当時の日産は、ピラーレスハードトップという車を作っていた。セドリック/グロリア以外にもR31スカイライン、U12ブルーバードのハードトップ車は同じ構造。どんな車か?と言うと、Bピラーと呼ばれる、前後のドアの間にある柱がなかった。窓を全開にすると開放感があるのだけど、やはり、柱が無いのでボディ剛性は低かった。今みたいに安全ボディなどと言う言葉もなかった時代だし。

 

Y31グランツーリスモSVは後期型から5速ATを積むことになる。当時のATの主流は4速。今はATでも7速とかあるけど、当時は、いすずのNAVI5以外では初めて5速ATになったハズ。1速に入れるには、シフトレバーを2速に入れて、更に、1速用のボタンを押す必要があった。通常は使用する事なし。

 

GTと言うグレードは登場したけど、かちかちのGTではなかった。他のグレードより足回りがちょっと固い、スポーツ寄りになっていた位?間違っても、峠とか攻める車ではなかったです。決して悪い車ではなかったけど、MTで走り回っていた小僧には、ちょっと物足りない部分があったのも事実。

 

これだけMT言っているのだから、次はMT車だろうと思う方が多いと思うけど、実は次の車もATとなります。その辺りは次回に。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。GC8インプレッサ編-2

貴方は道具を使いこなせていますか?

 

PCも重要ですが、電卓も必須アイテムです。YSです。よろしくお願いします。

 

初めて乗ったスバル車はインプレッサ。グレードはWRX。型式で言うとGC8になります。今までは経験談を書いてきましたが、今回からちょっと禁じ手?を使います。当時のカタログや、ウィキペディアでも色々調べてみます。その方がリアルに違いがわかるから。

 

車は、基本に忠実に作られているセダンです。当時のスバルは、サッシュレスドアというのかな?ドアに窓枠がないタイプだったのだけど最近は違うみたい。足回りは4輪ストラット。当時からマルチリンクのサスペンションはあった。ライバルのランエボはリヤがマルチリンクダブルウィッシュボーン?)。ストラットと聞くと、古いイメージが湧くかもしれないけど、4輪独立懸架の基本はストラット。やはり基本に忠実だったのだと思う。ノーマルの足回りで、十分走れる車でした。

 

止まることに関しても問題はなかったです。ブレーキパッドは、納車されて間もなく交換したけど。やっぱり、いざと言う時に止まるのって安心。都丸に関しては車重が結構大きな要素になる。E39ギャランの車重が1340kg。これ、今の車と比べると相当軽いけど、当時としては重い部類。ウチのE39ギャランはサンルーフも付いていたから1400kg位あったかも。GC8インプレッサも、4WDなので、そこそこ重いけど1200kg。200kgの差は大きい。ちなみに、初代ランエボは1240kg。40kgだけど、この点でもライバルより有利だったです。

 

良い事づくめの感じだけど、実際良かったです。問題があったのは乗り手である私でした。どうしても、ギャランの感覚で走ると、そこに、微妙な差がある事に気付きまして。ギャランの場合、コーナーへの進入をミスっても、立ち上がりの加速で誤魔化せたのですよ。それが、インプレッサだと、立ち上がりが若干遅い。コーナーへの進入角度をミスると、気持ち良くコーナーから脱出できない。ギャランは3000回転で最大トルクが出るのですが、インプレッサは5000回転で最大トルクを発生。勿論、3000回転にはトルクバンドに乗っているのですが、若干の差が速さに出ました。トータルで見たら、速かったかもしれない。だけど、それは車が速かっただけで、私の腕ではありませんでした。

 

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YS家 GC8インプレッサWRX

車の方には問題点らしき問題点はありませんでした。良い車に乗れたと思っています。頭文字Dで藤原父が選んだ車と言う事もあってか?中古でも良い値段が付いていますよね。これから乗ってみるという方の参考になればと思います。あ、1つだけ弱点あったかな?MTのミッションがガラスのミッション言われるほど弱かったとか。まぁ、ドリフトとかしなければ大丈夫じゃないかな?


GC8インプレッサには3年弱乗りましたが、その後は?次回書きたいと思います。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。GC8インプレッサ編-1

貴方は買い物をする時に商品を選ぶ判断基準は何ですか?

 

時代背景と共に人生を書いていますが、ようやく、新たな世代になりました。YSです。よろしくお願いします。

 

幾つか候補を上げた前のブログですが、日産に入ったならパルサーを選ぶでしょう!と思う方も、三菱が好きならランエボを選ぶかな?という方もいらっしゃると思います。私が選んだのは、両者にも当てはまらないインプレッサでした。

 

普通に考えればパルサーの一択だと思う。なんせ日産系の会社に勤務しているし。デビュー当時はGT-Rキラーとまで言われていたし。そして、三菱が好きならばランエボは避けて通れない道だし。何故、この2車種で収まらなかったか?答えは簡単。価格でした。実際には、価格以前に3ドアと言う事でセリカ、パルサーはオミットしていたかも。やっぱり、4ドアの方が実用的だし。パルサーは見積もりすら取らなかったと思う。ランエボインプレッサは見積もりを取りました。

 

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CD9A ランサーエボリューション

この両車の違いは、本当に些細な事だけど、限定車か?カタログモデルか?の違い。限定車は読んで字のごとく限定販売の車です。カタログモデルは、カタログに明記されている普通の市販車。ランエボは最終型のXこそカタログモデルだったけど、それ以外は、限定車だったのです。限定車となると販売側も強気です。ランエボは2箇所のディーラーで見積もりを取ったのだったかな?でも、両販売店とも値引きは殆どなかった。対して、スバルは近所にディーラーがなかったから横浜のディーラーで見積もりを取りました。デビューしたての車だったけど頑張ってくれた。最後は担当セールス氏が自宅まで来てくれたのは覚えている。結果、初めてスバルの車に乗ることになったのです。

 

前のブログで、成功したのはインプレッサだけみたいに書いたけど、それが理由で乗る事になったのではない。単なる偶然だったのです。幸いにもアタリを引いた感じ。レガシィの強みは4WDなのにハンドリングが良かった事。水平対向エンジンというのも功を奏したのだと思うけど、足回りを徹底的に追い込んでいた…とは後に聞いた話。熟成した技術をインプレッサにそのまま移植したらしい。結果、インプレッサの回答性の良さは世の評論家も認める所。故・徳大寺有恒氏曰く、プアマンズGT-R。表現は気に入らなかったけど、言っていることは間違いないなぁ…と感じた記憶あり。

 

このインプレッサで色々な体験をしました。箱根にも行ったし、初めてサーキットを走ったのもこの車。各方面から好評のこの車だけど、私的に気になった点もあるので、次回はそれを書いてみます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。ハイパワー4WD編

貴方は時代の変化を目の当たりにした事ありますか?

 

ちょっと大胆な質問ですが、内容的にはスカスカのブログです。YSです。よろしくお願いします。

 

オーテックに勤務する事で購入したY31グロリアだったのですが、やっぱりATというのは面白くなかったです。どうしてもMTに乗りたいなぁ…と思っていたし、後のモータースポーツ界を引っ張っていく車が登場したりしたので。三菱からランサーエボリューション、スバルからインプレッサが登場したのがこの時。

 

ちょっとおさらい。三菱はギャランで、スバルはレガシィWRCを戦っていました。戦績だけ見るとギャランの方が結果は残したかなぁ?うろ覚えで申し訳ないのだけど、WRCはヨーロッパを中心に年間10戦程度開催され、全戦に参加しなくても良かったのが当時のルールだったと思う。三菱は比較的多く参戦していた記憶あり。おのずと三菱の方が戦績は残る訳で。ギャランもレガシィも5ナンバーサイズのセダンだったけど、ラリーを走るにはちょっと大きくて重かった。そこで、小さなボディにハイパワーエンジンを載せてしまえ!と言った事で作られたのがランエボインプレッサ

 

ギャランは205馬力で登場したけど、最初のマイナーチェンジで220馬力、そして、最終的には240馬力のエンジンを積むことになる。この240馬力と言うのが、当時の2リッタークラスエンジンの一つの指標となる。初代ランエボは、ギャランと同じ4G63というエンジンだったけど250馬力で登場。対するインプレッサは240馬力となったEJ20というエンジンで登場。実は時を同じして日産も小型ボディにハイパワーエンジンと言う組み合わせの、パルサーGTI-Rという車を出している。ちなみに、パルサーはSR20DETという230馬力のエンジンだったハズ。この様に小型でハイパワーな車が主流となる中、トヨタだけは大きなセリカで頑張っていた。エンジンは3S-GTEだったけど馬力は覚えていないです。恐らく240馬力前後では?

 

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パルサーGTI-R

結果から言っちゃうと、この中で成功したのはインプレッサセリカも頑張っていたかもしれない。失敗の理由は、以前にも書いた車の3大要素の「曲がる」ができなかったから。ランサーとパルサーは、悪い言い方をすれば、パワーがあれば速いだろうみたいなスタンス。ハイパワーエンジンとなると、ターボが付いていたり、インタークーラーが付いていたりでフロントが重くなるのです。結果、コーナリング中にフロントが逃げる傾向が強くなります。勿論、足回りの変更等でアンダーを殺す事はできるけど、車の持っているそもそものポテンシャル以上にはならない。パルサーの場合は、インタークーラーがエンジン上部にあったのも失敗。空気の抜けが悪くて、インタークーラーが冷えなかった。

 

MTに乗りたかった人間として、実はこの中のどれかに乗る事になります。さて、どの車になったか?を次回は書きます。読んで頂きありがとうございました。