夢は駆け巡る

YS1986の私見による車を中心とした、日々の日常を綴ります。

自己紹介の続き。E30ギャラン編-1

貴方はまず外見から入るタイプ?それとも、中身から入るタイプ?

 

長々と書いていますが、嘘は書いていない…と思う。YSです。よろしくお願い致します。

 

車の話題。前のブログで、ギャランに目を引かれたと書いたけど、何で興味を持ったか?と言うと、そのスタイル。当時の流行は背の低い車。カリーナEDが代表格なのですが、知っている方は少ないかな?車って乗り物ですから、居住空間は広い方が良い。今でこそSUVが流行っているから背の低い車は見ないと思いますが、バブル当時は何故か?背の低い、ハードトップ型の4ドアが流行っていたのです。確かに、空気抵抗とか考えたら背の低い車の方が有利だけど。当時のカタログではCd値という空気抵抗係数というものが表記されていて、その数値が低いほど優秀…という訳でないけど、低い方が良いという考えがあったのです。今でもCd値は目にするけど、昔ほど極端ではない。一番簡単にCd値を低くする方法は、車の前面投影面積を小さくする事。それが、イコール背が低いとはならないのだけど、まぁ、簡単な方法ではある。

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T160系 カリーナED

Cd値を低くする方法としては、全体を流面系とする事があります。流れに逆らわない様に前面を後方に傾斜させる。これを「スラントをつける」という言い方をする場合もあります。今の車ではあまり見かけないのだけれど、前面を、更に前面に押し出す逆スラントというデザインもあり。昔のBMWが代表。逆スラントをしても、その周囲を上手くデザインすればCd値を低くする事は可能なのです。要するに、全体のバランスが重要な訳です。

 

ギャランは、当時の流行を逆行するデザインで登場してきたのです。形式で言うとE30系。全高が1400mm以上(ちなみに、カリーナEDは1320mm程度)あるスタイル。そして、フロントは逆スラントノーズ。どこを取っても、当時の日本車にはないスタイルをしていました。ただ、このスタイルは好みがわかれる所。ストライクな方にはど真ん中に来ると思うが、外れた場合はデッドボールになりかねる。世論を代表する訳でもないが、自動車評論家の故・徳大寺有恒氏はこのギャランのスタイルを悪くは言っていなかった。

 

先のブログでも書いた通り、フルタイム4WDのVR-4というグレードが前面に出るし、詳しい方なら思い浮かべるハズ。ただ基本はFF。FFだとMXというグレードが最上級だったけど、MXとVR-4ではどんな差があるの?と言うと、外観ではフロントバンパーとサイドのエアロバーツの有無。エンジン的にはターボとノンターボ。決定的なのは、VR-4が4輪独立懸架なのに対して、MXはリヤがトーションビームである事。トーションビームとはリヤの左右車輪が繋がっている様なサスペンション。その他にも、装備的な差はあったけど、大きな違いはこんな感じ。デビュー当初は、VR-4にATも無かったので、私的にはATのあったFFからこの車に入っていく事になります。

 

次回は、そのFFギャランにあったちょっと変わったグレード、我が家が乗る事になったグレードの話をしていきます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。WRC編

貴方の趣味の中で、一番記憶に残っている出来事は何ですか?

 

いつまで自己紹介を続ける気だよ?結構続きます。YSです。よろしくお願いします。

 

2つ前のブログでモータースポーツに触れましたが、WRCという言葉が出てきたのを覚えていますでしょうか?世界ラリー選手権ですが、ラリーと聞いてどんな車を思い描きますか?今でこそラリーでは4WD車が活躍していますが、4WDが無かった昔は、FRやFFと言った2WDの車が主流だった訳で。最初にフルタイム4WDで参戦してきたのはアウディ…だったと思う。アウディ・クアトロが最初だと思うのだけど違っていたらごめんなさい。ちなみに、カテゴリーはグループBというカテゴリーだったハズ。ただ、その後、グループBはモンスターマシンが現れ、事故で多数の死者を出し廃止。グループAというカテゴリーで競われることになる。

 

グループBは改造何でもアリの怪物マシンだったのに対して、グループAは市販車ベースの改造車。グループB時代もトヨタ、日産、三菱といったメーカーが参戦していたし、実際、トヨタはFRのセリカサファリラリーを連覇していたし。でも、グループAになった事で門戸が広がったのかなぁ?ようやく、日本にもフルタイム4WDの車が登場します。最初にフルタイム4WDになったのはマツダのファミリアだったハズ。それをきっかけに、各社がフルタイム4WD車を出すことになります。トヨタからはセリカが、日産からはブルーバードが、スバルからレガシィが、そして、三菱からギャランが登場。この内、セリカ、レガシー、ギャランはWRCに参戦。日産も後に、パルサーで参戦する事になります。

 

開幕当初や最近のJリーグでも、海外のトップ選手がプレーしたりしているけど、WRCも各メーカー、序盤は当時のトップを争える選手をドライバーとして迎えている。トヨタユハ・カンクネン、スバルはマルク・アレン、三菱はアリ・バタネンがドライブしている。ただ、これらのドライバーからチャンピオンは生まれていない。やっぱり、最初はマシンの熟成に時間が掛かるし、それをこれらドライバーがしてくれたのかな。後々、トヨタカルロス・サインツ、スバルのコリン・マクレー、三菱のトミ・マキネンとチャンピオンが生まれてくる事になる。

 

私も最初はフルタイム4WDなんて興味もなかったし、その長所、短所もわからなかった。ただ、利便性を考えると、大人4人が乗れる4ドアが好きだっただけ。従ってセリカは最初から眼中になかった訳で。では、私の目を引いたのはどの車でしょう?答えはギャランです。

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E30系ギャラン(VR-4)

 

次回は、その理由を含めてつらつら書いてみます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。大学生活編

貴方の学生時代の楽しみは何でしたか?

 

本当に自己紹介?と思いながら、ブログを綴っているYSです。どうか、よろしくお願いします。

 

車に興味を持っていた→将来は、自動車メーカーで主査になりたい。こんな単純な理由で、大学は理工学部機械工学科に進んだのですが、バブルがはじける様に、夢もはじけるものです。実際、今、自動車メーカーには勤務していません。でも、設計と言う仕事は好きみたい。土木設計をしています。話を戻しましょう。大学時代は先にも書いた通り、親の脛を、骨の髄までしゃぶりました。それについては、追い追い触れていきます。

 

大学でのキャンパスライフ。この言葉で、図書館に籠って勉強を思い出す貴方は凄い方だと思います。私の大学生活は、雀荘か深夜の箱根か?いやいや、冗談ではなく本当。勉強もしましたよ、テストの前日だけ。結果、ちっとも身に付いていません。大学1年の時には留年の危機にひんしました。大学2年からちょっとコツ(?)を覚えて、4年まではのらりくらりと過ごしました。2年までが教養課程で、理工学部の全学科が混在するクラスになったのですが、その友人達と週中は雀荘で、週末は箱根で待ち合わせをする感じです。

 

また、こんな事を書くと怒られそうですが、箱根の峠道を車で走り回っていました。主に国道1号線。箱根湯本からのぼり、芦ノ湖までを1往復。カローラのATで?はい、そうです。まだ、ドリフトとかする人は少なかった時代。4年生の頃にドリフトをする人が出てきたかな?ドリフトする人は少なかったけど、走る人はそこそこいましたね。自分を擁護する訳ではないけど、やっぱり、学生時代からサーキットと言うのはちょっと難しいかも。サーキットライセンス取得はお値段が厳しいです。あの価格設定では、峠小僧が減るはずがない。

 

最初はカローラのATで満足していましたが、徐々に速い車への憧れを持ち始めます。クラウンのロイヤルサルーンGが夢だった人間の趣味嗜好が変わってきました。ちなみに、周囲の友人達が乗っていた車は、ジェミニのハンドリングbyロータスだったり、AE92カローラのGT-Z(4A-GZEというスーパーチャージャー付)だったり。中に一人だけ、後々、頭文字DでブレイクするAE86トレノGT-APEXに乗っている友人もいたし。その友人たちの全てがMT。速く走るにはMTの方が有利なのかなぁ?なんて思いだして。当時のATは、今ほど賢いATでもなかったし。そして、私の車人生の分岐点となる車が世に登場してきます。

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JT190 ジェミニ ハンドリングbyロータス

次回は、その車を、時代背景と重ねながら紹介します。読んで頂き、ありがとうございました。

自己紹介の続き。モータースポーツ編

貴方の知っているモータースポーツは何かありますか?

 

何でも勢いって大切だと思う。…と、言い聞かせながらまたまた自己紹介を続けるYSです。よろしくお願いします。

 

私が大学時代、今では考えられない様な車が世には登場します。中には日の目を見ずに終わった車もいっぱいあるけどね。世はバブル絶頂期。色々な会社が、色々な形で車に携わってきます。モータースポーツもその一つ。モータースポーツと言えばF1を真っ先に思い浮かべる方、多いと思います。実際、ホンダをはじめ多くの日本の企業が参加しました。でも、スバルがF1参戦していた事を覚えている方は少ないのでは?水平対向12気筒エンジンを実際に作っていました。そのエンジンを載せた市販車を、自動車デザインの童夢、下着メーカーのワコールが手を組んでモーターショーに出品した…と言えば、思い出す方もいるかも。ジオット・キャスピタという名でモーターショーに姿を現したこの車だけど、結局企画倒れに終わった様な…。私自身、格好良いと思った車だったし、夢が詰まった車でしたが、やっぱり、泡ははじけてしまうのですよ。

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ジオット・キャスピタ

 

モータースポーツはF1だけではありません。当然だけど。上記で触れた童夢が、当時、力を注いでいたのがル・マン24時間耐久レース。私としては、タイヤがむき出しになっていて、武骨なF1マシンよりも、全体が流線型となっているプロトタイプマシンの方が好きでした。今でも、こちらの方が好きだなぁ。だけど、今、何というカテゴリーになっているのか?解らないのです。解らないというより、解ろうとしていない?当時の耐久レースをしていたのは、グループCというカテゴリーでした(実際には、アメリカを中心としたIMSAというカテゴリーもあったのだけど、とりあえず、グループCで括っておく)。グループCで強かったのがポルシェ。日本のメーカーでは、トヨタ、日産、マツダル・マンに参戦していたけど、今も参戦しているのはトヨタだけ。そのトヨタも一時参戦していなかったし。覚えている方も多いと思いますが、最初にル・マンで勝った日本メーカーはマツダ。当時はテレビ局もバブルで儲かっていたから、ル・マンをスタートから生放送で見せてくれたりしていた。TV朝日系列が放送してくれたのだけど、初優勝した時は感動もしたし、それで、ちょこっと人生の分岐点も出来たし。ちなみに、F1はフジ系列が今でも放送しているけど、その昔は、何戦かまとめて…という形でTBS系列が放送していたりもする。

 

TV朝日系列が放送する…という意味では、パリ・ダカールラリーの放送もあった。パリダカは放送があったけど、当時はあまり番組自体が無かったのが、世界ラリー選手権WRCと言うのだけど、これが世に広まるのはバブルよりちょっと後。

 

なんか、どこが自己紹介?と思う様なブログだけど、まだまだ続きます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。メーカー編

貴方の好きな自動車メーカーはどこですか?

 

先のブログから引き続き、自己紹介をしていきます。YSです。今回からブログの中心になりうる車について、もうちょっと深くツッコんだ自己紹介を〇回に分けてしていきます。

 

運転免許を取ったのは、実は高校生の時。一時、高校では原付免許も取らせない…という運動も起きた事を経験していますが、ウチの高校はそんな校則一切なし。生徒の自主性に任せるという、自由な校風でした。逆に、それで社会のルールを守らなかったら、それなりの罰則はありましたがね。私は、幸いにも普通の高校生をしていたので、罰則を受けた事はないです。ただ、本当に免許を取っても良いのか?事務室に聞きに行った記憶はあります。良いよ~と軽い返事が返ってきたのも記憶あり。そんな訳で、高3の夏休みに免許を取りました。

 

今でこそ、AT限定免許というものもありますが、当時は、MTでの免許取得が普通。もし、当時、AT限定があったらどうしたかなぁ?と言うのも、当時の私は、車はATだ!って思っていたので。理由は両親がATしか乗らなかったから。勿論、両親もMTで免許を取っていましたが、ATの方が楽じゃない!という理由でAT車ばっかり乗っていたのです。自分もATに乗るだろうと思っていたし、AT限定があったら…そちらにしていたかも。

 

そもそも、車に興味を持ち始めたきっかけと言うのが、中学2年の時、両親が車を買い替える際に貰ってきたカタログを見たこと。その頃の車って、今みたいにあれやこれやが全部付いている訳ではなかったのよ。車にエアコンが標準装備でついていたのはクラウンクラスだけだったかな?クラウンでも最上級のロイヤルサルーンでないと付いていなかったかも。ウチの車、カローラだったのだけど、エアコンはおろか、カセットデッキも付いていなかった。そんな訳だから、色々な装備が付いている車のカタログを見ると、そこには夢の世界が詰まっていたわけで。当時の夢は、クラウンのロイヤルサルーンGに乗りたい!だったり。

 

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S120系 クラウン ロイヤルサルーン

免許は高校生の時に取ったけど、本格的に車に乗り出したのは大学生になってから。時代は昭和バブル絶頂期。各メーカーが色々な車を世に送り出した時代。車のエンジンにDOHCと言うのがあるのだけど、これが日本のエンジンの主流になったのもこの時代。…これを書くと批判浴びそうだけど、大学時代に親の脛を、骨の髄までしゃぶりました。ちなみに、大学生になるまでは、好きなメーカーはトヨタでした。理由は、両親がトヨタ、日産以外は乗らないと言っていたから。でも、この大学時代に大きな変化を迎えます。

 

次回は、時代背景も見ながら、どの様な変化が起きたのか?を書きたいと思います。読んで頂きありがとうございました。

簡単な自己紹介から…

貴方はAT限定免許?それとも、普通の免許?

 

初めてのブログで、思いっきりつまらないタイトルを付けたなぁ…と我ながら思うYSです。初めまして。そして、よろしくお願いします。

 

実は私、「みんカラ」と言うSNS(?)でもブログをしております。「みんカラ」とは、みんなのイフの略なのですが…ご存知の方もいらっしゃるのでは?登録している方々の殆どが車好きの方です。まぁ、読んで字のごとく、車にまつわる日々を書き記していくブログなので。では、ブログの内容も車に関しての事だけか?と言うと、実はそうでもない。かく言う私も、普段はJリーグの話題が中心。

 

日々の変化を日記風に書くのがブログであります。車に関して日々変化があるとしたら、それは、もう大変です。何が大変か?って、お金が幾らあっても足りないと思われ。元々、車ってお金のかかる趣味の一つなのですよね。もし、日々の変化があるとしたら…それって、車が常に故障しているとか?そんな感じです。他には、日々、車のパーツを購入してそれのレビューをあげるとか。そんな方、多分、この世にいないのでは?カーライフが中心となるので、車でどこかへ出掛けて、出先の出来事を書くなんて事も出来ます。実際、旅行やドライブに行って、風景をあげている方もいらっしゃいます。そういう方が多いかなぁ?

 

あちらのブログでは冒頭にとあるwebラジオの挨拶を持ってきたりして、相当痛い人になっているけど、本音、色々な意味で痛い人です。車以外の趣味は?と言うと、上記のようにJリーグだったり、アニメ・ゲームだったり。どの位痛い人か?と言うと、車のトランクに好きなアニメキャラクターのステッカーを貼ったり、ナンバーの数字をステッカーのキャラの名前にしたり。ちなみに50歳独身。そもそも、あちらのブログのタイトルが、「とある川崎の痛車乗り」だったりする訳で。このブログ名で、何のアニメが好きか?も、お気に入りのキャラが誰か?も想像して頂けると思う。

 

あちらのブログのタイトルでもわかる通り、川崎在住です。生まれは東京都目黒区なのですが、昭和49年から川崎市、当時は高津区だった、今の宮前区に引っ越してきています。Jリーグ川崎フロンターレのサポ…なのですが、シーズンチケットを買っていません。後援会には入っています。チケットは朝日新聞さんから貰って、年間7~8試合ほど等々力での試合を見に行っている程度。本人はサポーター気取りでいますが、毎試合言っている方から見ればまだヌルい部類かもしれません。

 

YSを大きな括りで見るとこんな人間です。次回は、もうちょっと車について触っていきたいと思っています。ちなみに、冒頭の質問に対する答えですが、私は普通の免許証です。その辺についても次回以降、触れていきましょう。読んで頂き、ありがとうございました。