夢は駆け巡る

YS1986の私見による車を中心とした、日々の日常を綴ります。

自己紹介の続き。ターンニングポイント編-3

貴方は思ってもみなかった人と出会った場合、どの様な対応をしますか?

 

車の事も交えながら、ちょっと、オーテックジャパンについて書きます。YSです。よろしくお願いします。

 

先のブログに書いた通り、オーテックジャパンが私の最初の会社になりました。勿論、オーテックジャパンの事は、桜井さんが立ち上げた時から知っていたけど、どんな試験があるか?と言ったような、試験対策は全くしていなかったのですよ。だって、大学枠があるからというのは理由になっていないかな?だから、面接試験で伊藤修令さんと話す時には、緊張を通り越して、思いっきり素になっていた。本当か?嘘か?は解らないが、当時の面接試験では桜井さんが出ることになっていたが、あの時は、他の予定があって伊藤さんになったとか。

f:id:YS1986:20190516181949j:plain

オーテックジャパン(当時とロゴが違います)

恐らく、今の方々に、桜井眞一郎さんとか、伊藤修令さんとか言ってもピンとこないと思うのだけど、スカイラインの主査だった方と言えば少しは解ってもらえるかな?そもそも、スカイラインと言う車を知らないかも。その昔、ポルシェを相手にした事のある数少ない日本車と言うと、少しは関心を持ってもらえるかな?GT-Rの礎を築いた方と言った方が良いかな?

 

面接の時、伊藤さんから何を聞かれたか?はハッキリ覚えていないけど、風と一体となる様な車を造りたいという様な事を言ったのは覚えている。正直、これは受け売りの言葉だったから。でも、そんな車を造ってみたいという気持ちも本当にあった。そして、内定を頂いた時に、桜井さんともお会いする機会があった。内定をもらった同期が一斉に集う機会があったのだが、そこで、桜井さんと初めてお会いした。人事の方から、桜井さんに質問はない?と言われたが、いきなり質問と言われても…ねぇ。しかし、そこで、幸いにも人事の方から指名されたのが私。今思うと、本当に幸い。出てきた質問が「桜井さんにとってスカイラインとはどんな車でしたか?」だったのは残念。でも、桜井さんは丁寧に語ってくださった。そこで出てきた言葉は、色々な本にも書かれている「鞍上人なく鞍下馬なし。人馬一体となった車を造りたかった」という言葉。…別に、桜井さんの受け売りだったわけではないけど、ちょっと、頭を抱えそうになったのは覚えている。

 

試験や内定を頂いた時にオーテックまで行っているのだが、その時はVR-4で行った。その時に伊藤さんに見られた記憶あり。その後、人事の方から「この車で通勤してはダメだよ」と言われた。違法改造しているからではなく、オーテックが日産の子会社だったから。その言葉を受け、ギャランからは降りてしまった。通勤用に買ったのがY31グロリア。グランツーリスモSVというグレードだったけどAT。

 

更には、オーテックは半年で辞めてしまっている。理由は根性が足りなかったから。伊藤さんをはじめ、多くの方を裏切ったなぁと今は反省している。幸いなのは、同期の仲間が、今でも仲間でいてくれる事。これには、ものすごく感謝している。

 

Y31グロリアになってどうなったか?次回はその辺りを書きます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。ターンニングポイント編-2

貴方は分岐点に立った時、どの様な基準で道を選びますか?

 

長々と過去の事を書いていてスミマセン。YSです。よろしくお願いします。

 

大学4年の時に、就職以外の、大学院と言う進路が生まれたのですが、最初は迷いました。そこまで大学院に魅力を感じていなかったし、三菱とも繋がりが持てていた訳だし。周囲の声は、圧倒的に大学院でした。正直、両親すらも推薦を貰えるなんて思ってもいなかったのだけど、推薦が貰えたなら修士課程(大学院)に進むべきだと。そこで、私が選んだ道は大学院でした。大学院に行っても、三菱との縁を保っていけば良い訳だしと思っていたし、もう少し、学生を楽しむのも良いかな?と。この動機の不純さが悪い結果を生む訳で。

 

では、大学院に進んだか?と言うと、ここでも、まさかの話になる。大学4年の時に属していた研究室の教授と喧嘩しました。後にその教授曰く。もし、就職の道を選んでいたら、企業への配慮もあり、卒論を再提出でもさせて卒業させたと思うけど、大学院に残るのなら卒業させる必要もないと判断した。大学4年にして留年という事になる。その時は、大学なんてやめてしまえ、中退で結構!と思っていたけど、両親や、別の研究室の教授がそれを止めてくれて、大学5年で卒業したことになっている。

 

大学5年になると、上記の様な事もあり、さっさと大学を出たいとの理由で就職組となる。いよいよ三菱か?と言うと、ここでイベント発生。以前にも書いたが、ル・マン24時間レースでマツダが日本車初の優勝をする。今でもそうだけど、ル・マンで勝つことは本当にロマン。一時の迷い?三菱への想いよりマツダへの想いが強くなった瞬間。色々考えたが、最終的に希望進路をマツダと書いてしまった。三菱も、あれ?来ないのかよ!と思っていたのでは?

 

f:id:YS1986:20190516181533j:plain

ル・マンを勝ったマツダ 787-B

そのマツダですが試験で落ちました。一応、試験前に過去の入社試験の様子等を教えてもらっていたのだけど、世はバブルがはじけた直後。それまでとは異なり、普通に入社試験がありました。それまでは、卒論の内容を口頭で説明するだけみたいだったから、思いっきり油断していたのは事実。先のブログで書いた、大学枠5名に入っていながら落ちた訳で。

 

就職は?実は、大学枠とは別に、自由応募の会社でただ1つ試験を受けていた所がありました。桜井眞一郎(2011年に故人となりました)さんが立ち上げたオーテックジャパンがその会社でした。マツダの試験前に内定を頂いていて、大学枠でマツダが決まった際には、オーテックの人事の方にその旨も報告していたのですが、マツダを落ちたと言うと、快くわが身を受け入れて下さったりもしました。社会人としてのスタートは、オーテックで切ることになるのです。ちなみに、私が大学を卒業してから5年後かな?三菱のリコール隠蔽が発覚したのは。もし、三菱に入っていたら…私も隠蔽に協力していた可能性あり。この分岐点を、良かったのか?悪かったのか?と書いたのはそれが理由。でも、オーテックにお世話になったのだから、きっと良かったのだと今は思える訳で。

 

オーテックに入ったことで、趣味の車にも影響が出てきます。それも含めて、次回を書いてみます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。ターンニングポイント編-1

貴方の人生で分岐点という様なモノはありましたか?

 

50年生きてきて、分岐点は3つあったかな?YSです。よろしくお願いします。

 

最初の分岐点は中学受験の時。これは、結果的に良い方向に向かったので、ここでは割愛。2度目の分岐点は大学4年の時。結果から言うと、良い方向に行ったのか?悪い方向に行ったのか?は疑問。3度目の分岐点は社会人になってから。その時は悪い方向にむかったけど、それを書くか?は疑問です。

 

大学4年となると、就職を考える時期。早い人だと2年位考える方もいるのでは?私の場合、3年の時から意識しだしたけど、就職活動というものはあまりしていません。今はないのかもしれないけど、当時、ウチの大学は5名まで大学枠という枠があって、その5名に入れれば就職がほぼできるという制度があったのね。

 

ただ、何もなしに過ごすこともできないのは事実。3年の時に学外実習という単位があったのですが、企業に2週間ほど通い、そこで仕事の手伝いをしたり、企業側が用意してくれた研究をしたり。そんな単位です。その時、お世話になったのが三菱自動車。ギャランは大学2年の時に乗り出していたけど、三菱であればBestだなぁと思っていた程度。と言うのも、学外実習でどこの企業に行けるか?は抽選なのです。各企業1名なので希望者が複数いれば、当然、抽選になる訳で。後は、企業側が大学に申請を出すタイミングもある。実際、三菱の応募は始めから数えて3度目の募集で出てきた。逆を返せば、私は2度、抽選に落ちていたりもする。1社目は高田工業だった。2社目は覚えていないけど。そんな事もあり、三菱もどうだろう?と思っていたのだけど、抽選で当たった訳です。

 

三菱でも自動車技術センターという、愛知県岡崎市にある施設で研究することになり、そこで、走行時に発生するノイズ音の消し方と言う研究をさせてもらいました。まだ、カセットテープが主流の時代に、DAT(デジタルオーディオテープの略)を使ってデータを取っていき、最終的にA3用紙1枚だったけどレポートを提出しました。ただ、当時の感想は、もうちょっと、直接車に関連するような研究がしたかったなぁ…だったり。自分の愛車も三菱だし、偶然とは言え、開発の本陣に行くことができたりして三菱との縁は深くなっていきます。

 

f:id:YS1986:20190516181338j:plain

三菱自動車 岡崎工場

そして、大学4年。自分も就職を考えていたし、そして、三菱への就職を考えていた。恐らく、三菱側もその思惑だったハズ。三菱の川崎工場、岡崎工場の見学もさせてもらえたし、岡崎では人事の方とも挨拶してきたし。相思相愛で問題なく、三菱に就職できる…ハズだったのだけど、思いもしない展開がありました。それが、大学院の推薦をもらえたという事。自分の成績では無理だろうと思っていたし、大学院なんて考えた事なかったし。これが、一つのターニングポイントになりました。

 

そのターニングポイントに、更にもう一つイベントがありました。次回はそれに触れつつ、どういう人生を送ったか?を書きます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。E39AギャランVR-4編-3

貴方はお気にいりの何かの欠点をなおすとしたらどうしますか?

 

今回でVR-4の話は終わらせます。YSです。よろしくお願い致します。

 

車の3大要素。最後は「止まる」に関する話。これは、結論は簡単。車両重量が重ければ重いほど、止まる訳がない。E39VR-4は何度も書いている通り、フルタイム4WD。FFの車に比べると、リヤに駆動力を伝えるプロペラシャフトがあるし、FRの車と比べると、フロントに駆動力を伝えるドライブシャフトがある訳で。4WDの車は総じて言えますが、重いです。結論、止まりません。

 

普通に走っている分で止まらないというのは大問題。流石にそれはないです。ただ、それがサーキットでスポーツ走行したりすると話は別。上記の通り、車重が重い事が、ボディーブローの様に効いてきます。最初のウチは違和感ないと思いますが、周回を重ねる毎にブレーキへの負担は増していきます。そして、最後はブレーキのエア噛みが起きたりして。

 

峠道では?と言うと、何も知らなければ、ノーマルのブレーキでも走れちゃうかもしれない。でも、一回、止まるブレーキを知っちゃうと、その安心感が欲しくなる。そして、ブレーキの違いでどの程度速さが違うかを知ると思う。要するに、最初にブレーキパッドを交換してみると違いがわかるというモノです。

 

ギャランの場合もブレーキパッドの交換で対応しました。ブレーキのタッチ、初期制動が強いだとか、ブレーキの踏み方に応じた制動力とかは個人の差ですが、E39の場合、どちらのタイプを選んだか?は覚えていません。微かにある記憶だと、初期制動を重視したかな?

 

3大要素について書いてきましたが、あまり触れていないのが、全ての要素に関わるアイテム。タイヤです。E39の純正ホイールは15インチでした。今では、軽自動車で純正15インチなんて言うのもあるのでは?でも、当時は15インチって大きい方だったのです。タイヤも今みたいな流通が無かった時代。イヤでも国産タイヤだった。ブリヂストンを選ぶか?ヨコハマを選ぶか?ダンロップを選ぶか?と言った時代。私は当時、ヨコハマタイヤを選んだ記憶があります。

 

f:id:YS1986:20190515223947j:plain

YS家 ギャランVR-4

最後に、ギャランは曲がる、止まるが苦手という締めでしたが、現在は?と言うと、いずれ話すかもしれませんが、大きく進歩しています。4WDでも、くねくね曲がっていくし、ブレーキへの負担が無くなるとは言いませんが止める努力をメーカーがしています。タイヤも同じく。そう考えると、今の時代に、若者の車離れがあるというのは勿体ない話なのですが。

 

VR-4の話は基本的に終わりですが、次回はちょっと私の経験について書きます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。E39AギャランVR-4編-2

貴方は好きなモノの欠点を見つけたらどうしますか?

 

今回でVR-4の話、終わるのかなぁ?YSです。よろしくお願いします。

 

前のブログで車の3大要素の内、「走る」について書いたけど、今回は「曲がる」について書きます。E30系ギャランのVR-4は形式がE39AとE38Aがあります。2つの違いは?と言うと4WS機能が付いているか?否か?の違い。

 

今、4WSが付いている車って恐らくない。これもバブル期に生まれた技術の一つ。日本語に直すと4輪操舵。具体的には、ハンドルを切った際に、前輪は当然向きを変えるけど、後輪もそれに合わせて向きが変わるのを言います。初めて世に4WSが出たのは、R31スカイラインHICASかな?その時は、同位相と言って前輪の向きと同じ方向に後輪が向きを変えていたのです。その後、トヨタ、ホンダ、マツダも4WSの設定のある車を出してきた。トヨタセリカ、ホンダはプレリュード、マツダはセンティアだったかな?どれも逆位相という、後輪が、前輪の切れ角によって逆方向にも向きを変えるシステムだった。ハンドルをちょっと切った位では同位相で、大きく切った場合は逆位相。そんな感じ。プレリュードは、それを電気制御ではなく機械的に動かしていた…かな?センティアは電子制御だったと思う。後々、ホンダとマツダと特許絡みで争ったりしていました。見た目でわかるか?と言うと、プレリュードのそれは見た目でハッキリと後輪がくねくね曲がるのがわかる位。セリカも目視で確認できたと思う。

 

f:id:YS1986:20190515224437j:plain

プレリュードの4WS 逆位相時

話しを戻して、ギャランの4WSは?と言うと、電子制御の同位相のタイプ。では、何故こんな機能が必要か?と言うと、駆動方式の絡みです。駆動方式は何度か書いているけど、フルタイム4WD。今でこそ知っている方も多いけど、4WDって基本、直進安定性は抜群に良いけど、コーナリングに関しては諸刃の剣なのです。4つのタイヤが駆動力を持って、前に進むことで、コーナー姿勢も安定する傾向にはある。でも、同時に、全部のタイヤが直進しようとするから、コーナーでは思いっきりアンダーステアになる訳です。それを解消しようとして4WS機能を付けたのだけど。そして、ラリーではA.バタネンが、オンザレール感覚と言っていたけど、箱根の山ではそれを感じることはできませんでした。ちなみに、4WDの良いとこ取りをしようとしたのが、R32スカイラインからGT-Rに採用されているアテーサE-TS。常時は4WD駆動で、コーナリング中はフロントへの駆動力を切ってFR駆動とするもの。これはこれで、素晴らしいシステムなのだけど、コスト面と車両重量の増加という2つの問題があったりする訳で。

 

ギャランに話を戻すと、どうやってアンダーステアを殺すか?ですが、勿論、私の腕の問題もあります。これを機械的に殺そうとすると、一番簡単…と言うか、やってみて知ったのはサスペンションの交換。バネとショックアブソーバーを固めのものに交換してみると、見違える様に曲がるようになりました。では、その理論は?と問われると、正直良くわからない。とほほ…。ただ、純正の足回りではロールが大きくなりすぎて、車の踏ん張りが効かなかったりする。では、固い足回りにすれば速くなるのか?という問いに対する答えは、相当後になって得られます。

 

やっぱり、話しきれませんでした。次回は「止まる」に関して書く予定。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。E39AギャランVR-4編-1

貴方の思い出に残る「1つ」は何ですか?

 

ようやく、4WDの車の話になりましたね。これから先も長いです…。YSです。よろしくお願いします。

 

大学4年の時に、盛大な我が儘を言った。先にも書いた通り、両親はATしか運転しない。MTで免許を取ったのだからできなくはないと思うが、なんせ20年以上運転していなかったからできないというのが正しいか?それを、MT運転させてくれ、VR-4に乗らせてくれ…なんて言った訳である。ちょっとあれこれあって、車はとあるAT車だったのだが、最後は我が儘を貫いた。

 

車は、横浜アリーナであった三菱の中古車フェアで見つけた。とあるAT車との交換みたいな形で商談できたこともあり、両親は渋々私の我が儘を許してくれた。この時から、津田山三菱と付き合いが始まる。

 

f:id:YS1986:20190515223621j:plain

YS家 ギャランVR-4

初めてのMT。最初からスムーズにいくわけでもないが、とにかく、あらゆるシーンで練習をした。一番の課題はヒールトゥだったが、先輩や友人のアドバイスもあり、タイミングやコツを学んでいった。勿論、最終的には綺麗にできるようになった。当然、箱根にも足しげく通った。それも、運転が上達した理由の一つ?だと思う。

 

初めてのMTだったが、同時に、初めて車を改造した…と言っても、今みたいに車検対応品などと言う立派なモノは無い時代。結論、違法改造車であるが、パッと見は車高下がっている位。弄ったのは、ECU、ブレーキ、足回り等。

 

車の3大要素は、走る、曲がる、止まるである。今回は「走る」を主に見ていきましょう。私が乗っていたVR-4は前期型だったので205馬力。今でこそ280馬力を超える様な車が多いけど、当時は2リッターのエンジンでは最強の部類に入る。まぁ、普通に走る分には2リッターなら140馬力もあれば十分だけど。当時はエンジンの特性なんて、あまり気にしていなかったが、三菱のエンジンはロングストローク型。このエンジンの特徴は、低回転でのトルクが太く、高回転が弱い。対照的なのがホンダのエンジン。ショートストローク型で、高回転のノビが特徴。スバルの水平対向も後者にあたる。VR-4の長所は、そのエンジンの特徴でもある、低回転からの加速力にある。そこにターボを加える事で、3000回転で最大トルクを発生する。それがどういう事か?と言うと、初心者向けと言うのが一番簡単な表現かな?コーナーで、減速しすぎてしまっても、立ち上がりの加速でそれをカバーする事ができるわけです。ECUを交換したことで、ブーストの立ち上がりは更に早くなっていたし。更にフルタイム4WDの特徴は直進安定性。4つのタイヤがシンクロして前に進もうとするので、直進安定性は抜群。悪路は走ったこと無いけど、4つのタイヤがかくことによって悪路の走破性も良い…ハズ。そう言った意味で、VR-4の「走る」に関しては、私の未熟な部分を十分にカバーしてくれた訳です。

 

車の基本骨格となる部分は良くできていたので、「走る」に関しては問題が無かったです。では、残りの要素は?そこは、車を走らせてみて初めて分かった部分でもあります。次回はその辺りを書きます。読んで頂きありがとうございました。

自己紹介の続き。E30ギャラン編-2

貴方はお気に入りのメーカーをどの様な基準で選んでいますか?

 

50年生きてきた中の、まだ19歳位の話をしているけど、まとまるのか?これ…。YSです。よろしくお願いします。

 

FFのギャランが我が家最初の三菱車です。…ただ、この車に行きつくまでは、あまり感心できた話ではない。父名義のカローラを勝手に三菱のディーラーに持って行き、査定したのは実は私。以前にも話した通り、両親はトヨタ、日産以外は乗る気全くなかったから。ギャランに変えた当初も、コロナSFと言う車にする気はあったが、実際に買い替えるか?は決まっていなかった。そこを半ば強引にしたのは私…。はい。親不孝者です。

 

FFのギャランだとMXというグレードが最上級と書いたけど、E30系ギャランが世に出てから1年ほどしてからVX-Sというグレードが追加になっている。このVX-Sは、外観がグリルを除きVR-4と同じなのだが、特徴はアクティブECSが標準装備だった。アクティブECSとは何ぞや?その当時、F1でもロータスが採用していたアクティブサスペンションというモノがある。

 

通常のサスペンションは、地面からの突き上げ等、外部からの力の入力があってから、それに対応した動きをする。これを、ハンドルの切れ角、車速等から車がどういう動きをするか?を予測して、電子的に、外部からの力の入力前にサスペンションを制御するのがアクティブサスペンション…という所かな?正確な説明ではないと思うけど、概ねこんな所。これが進化していたら、今の車に装備されているハズだけど装備されている車ないよね。サスペンション構造自体も進化しているし、電子デバイスが故障したら終わりだからかな?それこそ、修理費が大変だろうし。でも、当時としては相当進化したサスペンションだったのも事実。日本車では、セリカ、インフィニティQ45、そして、このギャランに設定があった。逆に言うと、上記3車種以外に設定はなかった。

 

f:id:YS1986:20190515222441j:plain

アクティブECS 操作部

新しいモノ好きである上、VR-4と同じスタイルのVX-Sに心惹かれ、上記の様な親不孝的な行動に出たのである。最終的には、契約書にハンコを押すまでさせてしまったのだが。ただ、両親にとっても、悪い買い物ではなかった。三菱の車ってどうなの?という両親だったが、車全体の出来が良かった事もあり、馴染むのは早かった。両親とも、この車でドライブに出かける事も多々あり、岡山の母の実家まで行ったこともある。カローラに比べて、車体も大きく、排気量も大きくなったことで運転のしやすはあったし。私的には、アクティブサスの恩恵もあり、そして、ATの制御が、エンジンブレーキが強めの設定だった事もあり、箱根で思う存分走り回る事ができた。

 

この車は、最終的には都内でタクシーに追突される事になる。Cピラー付け根にしわができるほど大きな事故となり、次の車にバトンタッチするのだが…。そこの所は、またいずれかで触れたいと思います。とにかく、この時から私は三菱党になったわけです。

 

次は、いよいよVR-4に乗ります。読んで頂きありがとうございました。