夢は駆け巡る

YS1986の私見による車を中心とした、日々の日常を綴ります。

自己紹介の続き。ターンニングポイント編-1

貴方の人生で分岐点という様なモノはありましたか?

 

50年生きてきて、分岐点は3つあったかな?YSです。よろしくお願いします。

 

最初の分岐点は中学受験の時。これは、結果的に良い方向に向かったので、ここでは割愛。2度目の分岐点は大学4年の時。結果から言うと、良い方向に行ったのか?悪い方向に行ったのか?は疑問。3度目の分岐点は社会人になってから。その時は悪い方向にむかったけど、それを書くか?は疑問です。

 

大学4年となると、就職を考える時期。早い人だと2年位考える方もいるのでは?私の場合、3年の時から意識しだしたけど、就職活動というものはあまりしていません。今はないのかもしれないけど、当時、ウチの大学は5名まで大学枠という枠があって、その5名に入れれば就職がほぼできるという制度があったのね。

 

ただ、何もなしに過ごすこともできないのは事実。3年の時に学外実習という単位があったのですが、企業に2週間ほど通い、そこで仕事の手伝いをしたり、企業側が用意してくれた研究をしたり。そんな単位です。その時、お世話になったのが三菱自動車。ギャランは大学2年の時に乗り出していたけど、三菱であればBestだなぁと思っていた程度。と言うのも、学外実習でどこの企業に行けるか?は抽選なのです。各企業1名なので希望者が複数いれば、当然、抽選になる訳で。後は、企業側が大学に申請を出すタイミングもある。実際、三菱の応募は始めから数えて3度目の募集で出てきた。逆を返せば、私は2度、抽選に落ちていたりもする。1社目は高田工業だった。2社目は覚えていないけど。そんな事もあり、三菱もどうだろう?と思っていたのだけど、抽選で当たった訳です。

 

三菱でも自動車技術センターという、愛知県岡崎市にある施設で研究することになり、そこで、走行時に発生するノイズ音の消し方と言う研究をさせてもらいました。まだ、カセットテープが主流の時代に、DAT(デジタルオーディオテープの略)を使ってデータを取っていき、最終的にA3用紙1枚だったけどレポートを提出しました。ただ、当時の感想は、もうちょっと、直接車に関連するような研究がしたかったなぁ…だったり。自分の愛車も三菱だし、偶然とは言え、開発の本陣に行くことができたりして三菱との縁は深くなっていきます。

 

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三菱自動車 岡崎工場

そして、大学4年。自分も就職を考えていたし、そして、三菱への就職を考えていた。恐らく、三菱側もその思惑だったハズ。三菱の川崎工場、岡崎工場の見学もさせてもらえたし、岡崎では人事の方とも挨拶してきたし。相思相愛で問題なく、三菱に就職できる…ハズだったのだけど、思いもしない展開がありました。それが、大学院の推薦をもらえたという事。自分の成績では無理だろうと思っていたし、大学院なんて考えた事なかったし。これが、一つのターニングポイントになりました。

 

そのターニングポイントに、更にもう一つイベントがありました。次回はそれに触れつつ、どういう人生を送ったか?を書きます。読んで頂きありがとうございました。